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 【論文】ヌルヌットの生態から推測する、古代ミシュガルド文明における動物飼育施設の存在


論題】ヌルヌットの生態から推測する、古代ミシュガルド文明における動物飼育施設の存在

【著者】ズゥ・ルマニア(動物学者)

【概要】
 ミシュガルドに生息する獣「ヌルヌット」は、人語を使って人をだまして死に追いやり、その死体を食べる。しかしヌルヌットには目が三つある。これは狩りをする上で有利になる特徴であり、本来ヌルヌットは狩猟動物だったと考えられる。すなわちかつては狩りをしていたヌルヌットが、現在では人をだまして殺すという回りくどいやり方をとり始めた、ということである。
 そのように捕食方法が変わってしまった理由は、ヌルヌットが大昔に人間によって飼育されるようになったためと推測される。それも個人の手による飼育ではなく、動物を飼育する設備が整った専門の施設において飼育されていたと考えるのが自然である。
 この仮説が正しかった場合、ミシュガルド大陸のどこかにその施設の残骸が残っている可能性がある。その施設が見つかれば、ミシュガルドに現存する生物について多くの知見が得られるだろう。もちろん動物学以外の分野においても貴重な情報が得られるだろう。
 また、ヌルヌットを捕獲して詳しく調査ができれば、ミシュガルド古代文明に関する手がかりを得られる可能性がある。


【本論】
〈ヌルヌットの第三の目の役割〉
 ヌルヌットの生態について分かっていることは少ないが、身体的特徴から推測できることはある。例えば一般に草食動物の目玉は顔の左右についているが、肉食動物の場合は顔の前側についている。これにより肉食動物は両目でものを見る――すなわち立体的にものを見る――ことができる範囲が広くなる。これは獲物を走って追いかける際、獲物との距離を測るために必要な条件である(下図1)。
 これを踏まえてヌルヌットの特徴である、ひたいの第三の目について考察する。当然目が三つあった方が立体視できる範囲は広くなる。さらに第三の目が通常の目より高いひたいの位置にあることで、上側の立体視が得意だと推測できる。これによりヌルヌットは、鳥や虫などが自分の目線より高い位置を高速で移動するのを、容易に目でとらえることができるだろう。立体視が狩猟動物に見られる傾向であることをふまえれば、ヌルヌットはかつて高速移動する鳥または虫を追いかけまわし、捕食していたものと推測される(下図2)。


新しい捕食方法獲得のきっかけ〉
 動物がエサを得る手段は、基本的に動物ごとに一定である。例えばクモは粘着性の巣に虫が引っかかるのを待ち、カメレオンは舌を伸ばして虫を捕獲する。こうした動物はたとえエサがとれず餓死寸前であっても、絶滅の危機にあっても捕食方法を変えることはしない。にもかかわらずヌルヌットは「高速飛行する小動物を狩猟する」という捕食方法からかけ離れた、「自分より背の高い人間をだまして食べる」という捕食方法を獲得している。なぜこのようなことが起きたのだろうか。
 ヌルヌットは人をだまして食べる以外にも、グヌーを食べる姿が確認されている。ただしグヌーを食べる際にはだますような行為は見られない。また人の手で与えられたエサも食べる。このためヌルヌットは人をだます方法でしかエサを得ることができない、というわけではないと言える。だまされて窮地に陥った人をあざけり笑う姿も報告されていることから、「遊び」の要素が強いものと推測される。
 ヌルヌットは人語をあやつるほど賢いので、そのような遊びを思いついても不思議ではないかもしれない。しかしこの遊びが、生存の基盤となる捕食行為と関連づいていることには深い意味があると考えられる。もしもヌルヌットがエサを手に入れられず餓死寸前の状態にあったとしたら、このような遊びを思いつく余裕があっただろうか?「クモやカメレオンは餓死寸前であっても捕食方法を変えない」と述べたが、ヌルヌットの遊びによる捕食方法は、逆にエサを得ることが容易になり、生存上の余裕ができたことから生まれたものと考えられる。

 ヌルヌットが人をだます遊びを思いついた時、食うに困らない状態が続いていたとする。それはいったいどのような状況だったのだろうか。単純に考えられるのは、エサとなる小動物の大量発生である。特定の時期になんらかの原因でヌルヌットのエサとなる小動物が大量発生し、餓死の心配がなくなり「人をだます」という遊びを始めたというものである。
 この仮説は自然なものにも思えるが、「人をだます」という行為がヌルヌット本来の習性からかけ離れたものであることを考えると、理由づけとして弱いようにも思える。もちろん「人をだます遊びを覚えたきっかけ」と「食うに困らなくなった原因」に、直接の関係はないのかもしれない。しかし「食うに困らなくなる」ということは、その時期にヌルヌットを取り巻く環境が大きく変わったことを意味する。その環境の変化こそが「人をだます遊び」というヌルヌット本来の習性とかけ離れた行動をとらせた、と考えることに妥当性はあるだろう。


〈ヌルヌット飼育説〉
 以上をふまえると、ヌルヌットが食うに困らなくなった環境の変化について、ある仮説が浮かび上がる。それは、「ある時期においてヌルヌットは人間に飼育されるようになった」という説である。飼育されていれば食うに困らないのは明らかである。そしてヌルヌットは自分を飼育する人間と人語を介してコミュニケーションを行う中で、「人をだます」という遊びを覚えたのではないだろうか。
 ミシュガルドでは数多くの遺跡が発見されており、古代ミシュガルドにおいてある程度の文明が存在していたことは明らかである。その中でヌルヌットの祖先が人に飼われていた可能性は十分にある。人に飼われてだます遊びを覚え、その後野生化したヌルヌットが人をだまして食べるようになった、ということになる。
 この仮説はヌルヌットの習性からも支持される。ヌルヌットの「人の手から与えられたエサも食べる」、「エサをくれる人間を大切にする」という習性は、人に飼育されていたころの習慣のなごりであると考えられる。
 ヌルヌットの祖先が人に飼育されていたとすると、どのような形で飼育されていたのだろうか。まず考えられる一般の家庭で愛玩動物として飼われていた、というものだろう。しかしヌルヌットは大型の肉食動物である。当時は人を食べる習性はなかったかもしれないが、一般家庭で飼うのは難しいだろう。また、人をだます遊びが現存する野生のヌルヌットにも見られるようになるには、遊びの習慣が習性になるまで何世代にも渡って人間に飼育される必要がある。これも一般家庭では難しいだろう。
 それらをふまえると、「専門の設備がある中で長い期間に渡ってヌルヌットの飼育にあたり、繁殖させていた」と考えられる。その場合考えられるのは、ヌルヌットの家畜化である。例えば牧場において牧羊犬としての役割を与えられていたのかもしれない。しかしこの説にも疑問は残る。従順であることが求められる家畜に、人をだますという遊びはふさわしくないからである。牧場で家畜となったヌルヌットがその遊びを始めたら、牧場主はその遊びをやめさせるよう調教するだろう。これは家畜化に限らず、ヌルヌットを何らかの目的で利用しようとした場合ほぼすべてに言えることである。

 ヌルヌットを何らかの目的で利用するために飼育していたとして、考えられるのは動物園である。人をだます遊びは飼育員にとっては迷惑きわまりないが、「人をだます獣」は良い客寄せになる。また、非営利目的でヌルヌットを飼育していた可能性もある。この場合考えられるのは学術的研究を目的とした研究施設である。
 現在ミシュガルドでは様々な古代遺跡が見つかっている。もし古代ミシュガルドに動物園または研究施設がかつて存在していたとしたら、その残骸が現在も残っている可能性がある。その中には当時の動物に関する資料が残されていると思われる。書物などは読める状態になかったとしても、動物の骨格標本などは当時の形を保っている可能性がある。そうした資料から現存するミシュガルドの生物に関する知識が得られるかもしれない。それは単に学術的な成果だけでなく、危険な原生生物に対処する方法を得ることにもつながる。
 動物学以外の分野においても多くの有益な手がかりが得られるだろう。飼育施設の様子から古代ミシュガルド人が動物とどのように関わっていたか、当時の科学力がどれほどのものっだったかなどが推測できる。そうしたことから当時の社会の様子を予想することも可能だろう。また「動物を飼育する施設があった」という仮説だけから推測できることもあるかもしれない。これらは社会学の専門家に任せることとしたい。


〈今後の課題と展望〉
 ここまで述べたものはあくまでも仮説であり、現時点での立証は不可能である。またかつて何らかの施設でヌルヌットを飼育していた事実があったとしても、それがミシュガルドで行われていたとは限らない。他の大陸で飼育されていたヌルヌットが、なんらかの経緯でミシュガルドに渡って来た可能性もあるからである。それでも謎に包まれた古代ミシュガルドと関係しているのならば、この仮説について検証する価値は十分にあるだろう。

 今後この論文で述べた仮説を検証するために、「研究施設の残骸の捜索」と「ヌルヌットの捕獲」が望まれる。ヌルヌットを捕獲して詳しく調べることができれば、祖先が人の手で飼育されていた証拠を見つけられるかもしれない。
 なお、ヌルヌットの捕獲に成功した場合、調査・飼育に必要な費用や設備、人的資源のすべては、著者が経営するルマニア動物園が無償で提供することを約束する。〈了〉



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